転勤族の私がフリーライターを目指した理由~後編~

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前回の記事では、私がライターになるまでの経緯をお伝えしました。
転勤族の私がフリーライターを目指した理由~前編~


今回は、ライター業の苦しい面や私を助けてくれた出会い、そして1年経った今、転勤族ライターとして感じることをお話したいと思います。



フリーライターになって見えてきたもの「経験と実績の世界」



ライターの仕事を始めてみてからは、元々右も左も分からないところからのスタートだったため、ギャップを感じたというより、「知らないことがボロボロ出てくる」と言った方が正しいかもしれません。
フリーランスなので、誰かに指導してもらうわけにはいきませんし、手探り状態なのは、1年経った今でも同じです。ひとつ仕事が完了する度に、自分に足りないものが見えてきます。
特に取材記事の場合は、取材対象の方の時間を頂戴しているためプレッシャーも大きく、社会人として失礼のないよう、ひとつひとつ丁寧に仕事を進めるだけで精一杯でした。


そして、フリーライターを始めて、痛感したのは、「経験と実績がものを言う世界」だということです。


初めに採用された2社は、業務委託のためコンスタントに依頼があるわけではありません。また、2社のうち1社にいたっては、自分で取材対象を見つけ、企画を通す必要があるため、転勤族で人脈のない私は、スローペースにならざるを得ませんでした。

他にも仕事を増やそうと試みましたが、経験と実績が足りず不採用ばかり。
「ステップアップするには、とにかく経験と実績を積まなければどうにもならない…けれど、そのための仕事にすらたどり着けない…」、ここから数カ月、この悩みに苦しめられることになります。

一歩踏み出す勇気 ご縁でいただいたお仕事


くよくよと悩んでいたある時、香川県で取材ライターのインターンシップを見つけます。無償ではありましたが、とにかく私が欲しいのは経験。思い切って連絡してみたところ、代表の方は、快く受け入れてくださり、カメラの使い方や取材のノウハウを教えてくださいました。
今思うと、この一歩のおかげで、私のフリーライターとしての車輪が動きだしたような気がします。なんと、インターンシップをきっかけに香川県内でのご縁がじわじわと広がり、紹介でお仕事をいただいたり、取材先を仲介してもらえたりと、思わぬ形で仕事が増えていったのです。


もちろんこの結果は、私にチャンスをくださった方々の懐の深さのおかげに他なりません。けれど、「なんだか、ご縁って不思議だなあ」、としみじみ考えさせられた経験になりました…


技術的にも収入的にも一人前というにはほど遠いものの、最近は、何かしらの仕事を抱えている、という状態までには成長したので、ひとまず及第点といったところです。

5年後、10年後の自分が満足しているために



さて、以上が私の経験談になります。
あまりにも個別具体的な話だったので、参考にならないかもしれませんね。
確かに、『転勤族の妻がフリーライターで活躍する方法』なんて銘打った成功法のようなお話が出来れば良いのですが、「いただいた仕事とご縁を大切にする」、「自分のできる範囲で、少しずつステップアップしていく」としか言いようがないな、というのが私の実感です。
特に転勤族の妻の場合は、赴任地や赴任期間によって仕事の種類や量が大きく変化するので、それぞれで柔軟に考える必要があります。
私は、香川県での経験を通して、「どうせお金にならない」、「やっても意味ない」という意識を時には捨てるべきだと考えるようになりました。


転勤族の妻にとっての仕事は、収入と同じくらい、自己肯定の材料として大切なものです。
たとえ、すぐに結果につながらそうでも、興味があればとにかくやってみる。
それで自分の心が健康でいられるなら、決して無駄ではありませんし、その後に素敵なご縁が待っていることだってあるはずです。
「旅の恥はかき捨て」の精神と言いましょうか…その土地でしかできない体験に身を投じてみる勇気も、転勤族の妻に求められるスキルなのではないでしょうか。


「明日ではなく、5年後、10年後の自分が満足してれば良い」
転勤族の妻の私はそんな想いを胸に、自分のペースで、自分のやり方で、これからも少しずつ進んでいくつもりです。


~記事はあくまでも一例です。tenkin-noteは、転勤族の転勤が「転機」に、そして楽しい転勤生活になるよう応援しています。~


文:岡安 早和


※岡安早和プロフィール:宮崎県出身、香川県在住。転勤族の夫との結婚を機に、フリーライターに転身。
その土地ならではの出会いを活かして、取材記事の執筆を中心に活動中です。「転勤族だからこそできる経験」を大切にしたいと思っています。